21.4.11

オノヨーコ。



オノヨーコさんの文をまたのせます。

「私は、以前から、自分の生き方に関して、妙なイメージがある。

自分がまな板に載せられた魚になっている。

水から上がっているから苦しい。

息が苦しくてハアハア言っている。

生きているのが辛いから早く殺してもらいたい。

包丁で切ってもらいたい。

そうやってもがいている光景が目に浮かぶのである。

いまこの社会で生きていくことは、私には水を得ていない魚みたいな苦しさがある。

人間は誰だって社会から限定されて生きている。

しかし限定されていることに気づかず、うまく社会におさまってしまった人は楽だ。

私はいま四十歳になるが、この年になれば、私という魚は死んでしまうだろうと思ってきた。

死ぬということは精神的に死んでしまって、社会の規定におさまった生活をするようになることで、そうなったらゆっくりできると考えていた。

ところが、何としてもそれができない。死ねば楽になることはわかっているのに、どうしても生きるほうを選んでしまうのだ。

男性と一緒に住むときでも、私は、まな板の上の魚で、男性は包丁をもっている」

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