またまた落込んでいます。
目指してる所が高いのに、目の前の低いと思っていたハードルさえこれられず、この何年間のことは
なかったこと、無意味だったのかと思ってしまいます。
才能とか能力がないのに、高い所をめざして頑張ることは、本当に何かが消耗します。
今回も何か削られような気持ちです。制作を続けること自体私にとって、ただの自虐行為だなと思い、
そんな自分がみじめでかわいそうなので、もういいよって言ってあげたいけど、今終わったら
もっとみじめなので、今度いいことがあったらその時にまた考えようと思います。
レベルが低いのに、とても真剣っていう事実がほんといやになっちゃいます、
今度生まれ変わるときは真っ直ぐな髪さえくれれば、あとは何も私に与えないでほしいです。
26.4.11
21.4.11
オノヨーコ。
オノヨーコさんの文をまたのせます。
「私は、以前から、自分の生き方に関して、妙なイメージがある。
自分がまな板に載せられた魚になっている。
水から上がっているから苦しい。
息が苦しくてハアハア言っている。
生きているのが辛いから早く殺してもらいたい。
包丁で切ってもらいたい。
そうやってもがいている光景が目に浮かぶのである。
いまこの社会で生きていくことは、私には水を得ていない魚みたいな苦しさがある。
人間は誰だって社会から限定されて生きている。
しかし限定されていることに気づかず、うまく社会におさまってしまった人は楽だ。
私はいま四十歳になるが、この年になれば、私という魚は死んでしまうだろうと思ってきた。
死ぬということは精神的に死んでしまって、社会の規定におさまった生活をするようになることで、そうなったらゆっくりできると考えていた。
ところが、何としてもそれができない。死ねば楽になることはわかっているのに、どうしても生きるほうを選んでしまうのだ。
男性と一緒に住むときでも、私は、まな板の上の魚で、男性は包丁をもっている」
18.4.11
誕生日。
私は人の誕生日をなかなかおぼえられません、ほんとうに申し訳ないとおもいつつ、全く頭にはいりません。唯一憶えているのは、兄の誕生日と初めて付き合った人と自分の誕生日のみおぼえています。さすがに自分のはおぼえています、兄のはおぼえやすいですし、初めての人は私の誕生日の前日だからおぼえています。
にもかかわらず、、少数の友人は私のようなものの誕生日まで忘れずにいてくれます。そして毎年必ず私に歳をとらしてくれます 笑。
今年こそはみんな忘れてる(私はどなたのもおぼえられませんが)と思っていましたが、私にとって今年が一番うれしい誕生日でした。手紙やプレゼント、電話、メール、ありがとうございました。信じられないです、生きててよかったなって・・・・・こういううれしいことがあるとやめられないですね、生きること。
16.4.11
13.4.11
宮沢賢治「告別」
一応、彫刻を作っている私は、作品を作る側であって、買う側ではないと思っていました。
私自身は人と比べて稼いでいるわけがないし、きっと他の作る側の人もかつかつな生活ので、
私自身は人と比べて稼いでいるわけがないし、きっと他の作る側の人もかつかつな生活ので、
作品を買うなんて立場にはならないと思っていました。
そんな私でしたが、私に買う喜びを教えてくださった方がいました。
そんな私でしたが、私に買う喜びを教えてくださった方がいました。
いざ買ってみると、今まで味わったことない喜びがあり、驚きました。
とは言っても、そうちょくちょく買いたい作品に出会えるわけでもないですし、
値段も買える値段ではないと買えませんから、きっと生涯で数えるほどになると思います。
この掛け軸はある書家の方に依頼したものです。とっても大きく、床の間ジャストサイズです。
これは大学の時の先生が好きな詩です。初めて読んだときは、先生はこう思っているんだと
思い、ぞっとするというか、背筋がひやっとしました。
今も同じ思いです。
この掛け軸をかけると、厳しすぎてつらくなるので、なかなか掛ける時期を選びます。
今は気持ちが燃えているので、掛けても問題ないです。
山で一人、草を刈ることを続けていきたいです。
7.4.11
おのようこ
久しぶりにおのようこさんの「ただの私」という本を読み返しています。 すかっとする内容が多く、一気にポジティブな気分になります。 私は本当に単純だなと思うほど、(いつまでもつかはわかりませんが)心が強くなりました。 共感できるところを書き残しておきます。 〈私たちは、生まれたときすでに、胎教とやらで相当ゆがめられてしまっているが、それでも生まれたときの状態が、一番自然に近い。ところが、その赤ん坊は、母親が決めた時間にしかお乳をもらえない。もっとたくさん飲みたいと思っても、母親が適量と考えた分しかもらえない、といったふうにして、母親を通して、社会のリズムを押し付けられ、自然な身体のリズムが失われていってしまう。母親によって、社会の通年を強制的に習わせてしまうのだ。栄養は一日に二千四百カロリー摂取しなくてはならぬ、とか、ネクタイをしなくちゃいけない、とか、すべて、がんじがらめだ。〉 チェコから帰ってきて作り始めた作品のコンセプトと通じるところがあり、とても共感しました。 人にはできる我慢とできない我慢があると思います。それによって一見縛られていなさそうにしていても本人にとってはがんじがらめという人もたくさんいると思います。 ほとんどの人が問題なく我慢できることでも、それをできない人もいます。ほとんどの人が幸せを感じることも、幸せに感じない人もいます。人は一人一人全く違うのです。親子や兄弟(姉妹)でさえ全く違います。別の人間で似ているところなど一つもないのですよね・・・・ただえさえ縛られている人間どうし、その縛りをよりきつくするようなことは、もうよしたいところですね。
3.4.11
チェコ料理・グラーシュの作り方。
こないだいい肉が手にはいったので、グラーシュを作りました。 材料は牛肉のかたまり(またはサイコロステーキ) 玉ねぎ 3個クミン 大さじ3パプリカのパウダー 大さじ3ホットパプリカパウダー 少々 Majoranka drhnuta 大さじ1小麦粉 大さじ3 玉ねぎを8個くらい使ってしまい、玉ねぎが溶けるまで煮込まなくてはいけないのに多すぎてだめでした。味も本場のものとは違う感じ?でした。でもすっごいおいしかったです。最後に生のたまねぎをちらすとおいしいです。これはスパゲッティにも応用できて、おいしいです。日本でいうねぎのみじん切りといったところです。 桜が咲き始めました。チェコから帰ってきたら、気軽に花見にさそう人いなくなってしまいました。みなさんおいそがしそうで・・・・その分制作を頑張る春にしたいものです。
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